大判例

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最高裁判所大法廷 昭和31年(あ)1071号 判決

判  決

本籍

東京都江東区深川清澄町二丁目一五番地の四

住居

同都港区麻布霞町一九番地

会社役員

伊藤佐太郎

明治三九年二月九日生

右の者に対する所得税違反被告事件について、昭和三一年二月一六日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人太田常雄の上告趣意第一点について。

論旨第一は、所得税法中源泉徴収に関する規定は全部憲法二九条に違反する、と主張する。しかし憲法三〇条は、「国民は法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」ことを宣言し、同八四条は、「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律に定める条件によることを必要とする」と定めている。これらの規定は担税者の範囲、租税の対象、担税率等を定めるにつき法律によることを必要としただけでなく、税徴収の方法をも法律によることを要するものとした趣旨と解すべきである。税徴収の方法としては、担税義務者に直接納入させるのが常則であるが、税によつては第三者をして徴収且つ納入させるのを適当とするものもあり、実際においてもその例は少くない。給与所得者に対する所得税の源泉徴収制度は、これによつて国は税収を確保し、徴税手続を簡便にしてその費用と労力とを節約し得るのみならず、担税者の側においても申告、納付等に関する煩雑な事務から免かれることができる。また徴収義務者にしても、給与の支払をなす際所得税を天引しその翌月一〇日までにこれを国に納付すればよいのであるから、利するところ全くなしとはいえない。されば源泉徴収制度は、給与所得者に対する所得税の徴収方法として能率的であり、合理的であつて、公共の福祉の要請にこたえるものといわなければならない。これすなわち諸国においてこの制度が採用されているゆえんである。かように源泉徴収義務者の徴税義務は憲法の条項に由来し、公共の福祉によつて要請されるものであるから、この制度は所論のように憲法二九条一項に反するものではなく、また、この制度のために、徴税義務者において、所論のような負担を負うものであるとしても、右負担は同条三項にいう公共のために私有財産を用いる場合には該当せず、同条項の補償を要するものでもない。

論旨第二は、所得税法中源泉徴収に関する規定は憲法一四条に違反し無効である、と主張する。そして論旨は先ず勤労所得者が事業所得者に比して徴税上差別的取扱を受けることを非難するが、租税はすべて最も能率的合理的な方法によつて徴収せらるべきものであるから、同じ所得税であつても、所得の種類や態様の異なるに応じてそれぞれにふさわしいような徴税の方法、納付の時期等が別様に定められることはむしろ当然であつて、それ等が一律でないことをもつて憲法一四条に違反するということはできない。次に論旨は、源泉徴収義務者が一般国民に比して不平等な取扱を受けることを論難する。しかし法は、給与の支払をなす者が給与を受ける者と特に密接な関係にあつて、徴税上特別の便宜を有し、能率を挙げ得る点を考慮して、これを徴税義務者としているのである。この義務が、憲法の条項に由来し、公共の福祉の要請にかのうものであることは、すでに論旨第一について上述したとおりである。かような合理的理由ある以上これに基いて担税者と特別な関係を有する徴税義務者に一般国民と異なる特別の義務を負担させたからとて、これをもつて憲法一四条に違反するものということはできない。

論旨第三は、所得税法中源泉徴収に関する規定は憲法一八条に違反し無効である、と主張する。しかし源泉徴収義務者の徴税事務に伴う負担をもつて、所論のように、苦役であり奴隷的拘束であると主張するのは明らかに誇張であつて、あたらないこと論をまたない。

以上述べたところによつて明らかなように、所得税法中源泉徴収に関する規定は違憲無効であるとの各主張はいずれも理由がない。従つてこれ等の規定を合憲として適用した原判決は正当であつて、論旨は採用できない。

同第二点について。

論旨第一及び第二は単なる法令違反の主張であつて適法な上告理由とならない。

論旨第三は、原審において主張判断を経ない第一審の訴訟手続につき違憲及び訴訟法違反を主張するものであつて適法な上告理由とならない。

論旨第四は事実誤認の主張であつて、これまた上告適法の理由とならない。

なお記録を調べても刑訴四一一条を適用すべき事由は認められない。

よつて刑訴四〇八条により裁判官全員一致の意見をもつて主文のとおり判決する。

昭和三七年二月二八日

最高裁判所大法廷

裁判長裁判官 横田喜三郎

裁判官 斎 藤 悠 輔

裁判官 藤 田 八 郎

裁判官 河 村 又 介

裁判官 入 江 俊 郎

裁判官 池 田  克

裁判官 垂 水 克 己

裁判官 下飯坂潤夫

裁判官 奥 野 健 一

裁判官 高 木 常 七

裁判官 石 坂 修 一

裁判官 山田作之助

上告趣意

昭和三一年(あ)第一〇七一号

被告人伊藤佐太郎

弁護人太田常雄の上告趣意

第一点 原審は以下述べるように違憲無効の所得税法中の規定を合憲なりと判断し控訴を棄却したもので、破毀を免れない。

第一、所得税法中源泉徴収に関する規定は全部憲法第二十九条に違反する無効の規定である。

一、憲法第二十九条は財産権の不可侵と、私有財産使用に対する補償確立を宣言している。しかるに現行所得税法中源泉徴収に関する規定によれば次に述べるとおり源泉徴収義務者はその義務を履行する上に私有財産を政府の徴税事務協力のために侵されており且つ政府は私有財産を公共の福祉のため用いながら何等の補償を与へていない。

二、所得税法第四章第二節所定の源泉徴収に関する規定は、租税法上の基本原則たる合理主義(最小徴税費の原則)と能率主義(納税の時期場所等に関する明確、便宜の原則)を採用し、本来ならば国家の行政行為に属している徴税事務を行政上の便宜のために特定の者をして扱わしめることとしているものである。この規定にいう源泉徴収義務者は憲法第三十条に基く納税義務者ではなく全く別個な観念に属するものである。即ち憲法第三十条には「国民は法律の定めるところにより納税の義務を負うとある」が源泉徴収義務者の義務はこの規定による納税義務者の負担する納税義務とはその性質を異にし、源泉徴収義務者は国家の徴税事務の担当者たるに過ぎない。このことは所得税法第四十三条の強制徴収に関する規定中「……の規定により徴収して納付すべき所得税を納付しなかつたときは国税徴収の例によりこれを支払者から徴収する。」とあることによつて見るも明らかである。従つて所得税法上の源泉徴収義務は憲法上の義務ではなく所得税法が徴収の便宜のために、一定の所得についてその支払の際所得税額を徴収し及びその徴収した税金を国庫に納付すべき方法を規定したために生じた義務に過ぎないものといわなければならない。

現行所得税法上本件に関連ある給与及び退職所得関係について源泉徴収義務者の義務として現実に源泉徴収義務者が行わなければならない事項を列記すれば次のとおりである。

① 各給与所得の支払を受ける者から、所定の扶養控除等(異動)申告書(別紙様式一)従たる給与についての扶養控除(異動)申告書(別紙様式二)給与所得者の保険料控除申告書(別紙様式三)等の各申告書を提出させ、その記載内容を検討し内容の誤りのないことを確めたうえ所轄の税務署長に提出すること。

② 給与所得者から徴収する税額はそれぞれ定められた税額表の適用区分に従い各別に税額を算出し決定すること。

③ 給与支払の際それぞれ計算した所得税額を源泉徴収すること。

④ 給与額の異動や扶養親族数の異動により年間の給与総額についての税額調整(年末調整)を行うこと。

⑤ 一年中に支払つた給与所得又は退職所得について毎年源泉徴収票を作成することとなるため給与所得の支払事項、所得税の徴収事績及び所得税額計算の基礎となる事項等を給与の支払を受ける者の各人ごとに明らかにし、これらの事項を記載した「一人別徴収簿」(別紙様式四)を作成すること。

⑥ 退職所得に対する特別の源泉徴収をすること(別紙様式五)。

⑦ 災害被害者に対する救済としての徴収猶予及還付に関する事務を代行すること。

⑧ 支払を受ける者に給与支払明細書を交付すること。

⑨ 徴収高計算書及び税金を納付した領収証を従業員に掲示すること。

⑩ 源泉徴収票を本人に交付すると共に税務署長に提出すること。

⑪ 給与の支払を開始し又は支払をしなくなつたときは給与支払開始申告書又は給与支払廃止申告書を税務署長に提出すること。

三、しかして源泉徴収義務者が前項に列記した各種の義務を遂行するに当つては専門的な智能を要する労力と事務費が伴うことは必然であり、いま試みに本件被告人の経営する会社(全従業員現在約二〇〇名)が本件訴因たる所得税法第三十八条所定の源泉徴収事務を遂行するために費消する一ケ年間の物質的負担についてその概略を計算して見ると次のとおりとなる。

一、人件費 見積 三十六万円

内 訳 税額計算上必要な労力

二人分(専従者のほか協力者の労働力を加算)×俸給一人当り一五、〇〇〇円×十二ケ月分

二、物件費 見積 四万五千円

内 訳 所要用紙二、〇〇〇枚

一枚当り一〇円 二〇、〇〇〇円

筆墨代インク・ペン・鉄筆・カーボン紙その他 一〇、〇〇〇円

通信連絡費 五、〇〇〇円

旅費 五、〇〇〇円

雑費 五、〇〇〇円

以上合計見積金四十万五千円

四、さて前述したとおり租税の源泉徴収に関する規定は、全く国家の徴税上の便宜のために設けられたものであり、弁護人の調査したところによれば、我国においては先づ明治三十二年に公社債の利子について採用され、その後、日露戦役の戦費調達のために非常特別税の一つとして新設された通行税についてその徴収義務を簡素化す目的で採用され、更に昭和十五年支那事変の長期化に伴う税制改正の際給与及び退職金等についてもこれを採用勤労所得税なる名称の下に施行せられ、以来数次の改正拡張を見て今日に至つているのであるが、この制度は、源泉徴収の方法によらなければ徴税が不可能なるか又は不合理(経費倒れ)であるという理由以外はみだりに採用さるべきものではなく、この制度の採用に当つては、何れも国民の迷惑とならないような細心な考慮を払うと同時にそれを実施せざるを得ない特別の必要性とがなければならないのである。こういう意味で政府は、前記勤労所得税制度に際して、戦時非常の場合、しかも旧憲法の下におかれてすら、その合理的運営を期すべき充分の考慮を払つており、特に所得税法施行規則中に

第九十六条 所得税法第七十二条ノ規定ニ依リ丙種ノ事業所得又ハ甲種ノ勤労所得ニ対スル分類所得税ヲ徴収シタルモノニ対シテハ其ノ請求ニ依リ毎年取扱ヒタル丙種ノ事業所得又ハ甲種ノ勤労所得ニ対スル分類所得税ノ納税者一人ニ付キ五十銭ヲ交付ス(昭和十九年勅令第百八十二号、同二十一年勅令第四百十四号改正)

前項ノ金額ノ交付ヲ受ケントスル者ハ翌年一月三十一日迄ニ請求書ヲ所轄税務署ニ提出スベシ

第九十七条 第九十二条又ハ第九十四条ノ規定ニ依リ支払調書又ハ計算書ヲ提出シタル者ニ対シテハ其ノ請求ニ依リ左ノ金額ヲ交付ス但シ所得税法第九十条ノ規定ニ依リ処罰セラレタル者ノ提出ニ係ル支払調書又ハ計算書ニ付テハ此ノ限ニ在ラズ(昭和十九年勅令第百八十二号、同二十一年勅令第四百十四号改正)

一、第九十二条ニ規定スル支払調書ニ付テハ記載事項一件一人毎ニ三銭

二、第九十四条ニ規定スル計算書ニ付テハ一信託毎ニ十五銭

前項ノ金額ノ交付ヲ受ケントスル者ハ支払調書又ハ計算書提出後三十日以内ニ請求書ヲ所轄税務署ニ提出スベシ

との規定をおいて、源泉徴収義務者の負担となる労力と費用に対し補償することとした。

しかしこの規定は現在廃止されたが、いま仮りに現在なお適用されるものとして本件被告人の経営する会社が一ケ年間に国家に対し請求し得る金額を参考のために計算すると次のとおりとなる。

一、第九十六条による請求金額の概算

昭和二十八年度の年間納税者の人員は新規採用者を含めて二五三名であり、之に一人分の五十銭を乗ずると金一二六円五〇銭となる。

二、第九十七条による請求金額の概算

支払調書(現行法では一人別所得税源泉徴収簿)二五三枚に対して一枚分の三銭を乗ずると金七円五九銭となる。

右合計金一三四円〇九銭

但しこれを昭和十五年当時の卸売物価指数と比較しその上昇率を二五〇倍とみて計算すると合計年間補償額は金三三、五二二円五〇銭となる。

五、しかるに現在政府は前述のとおりその行政上の便宜のために(源泉徴収をしなければ徴収が不可能であるという理由も考えられないのに)何等の補償を考慮することなくこれらの制度を強行し、この反面、徴収義務者は前述本件被告人の経営会社の例によつてもわかるように、その徴収義務を遂行するために、若しそれがなければ本来の事業に使用することのできる従業員の労力を転用し、又企業の組成財産の一部流用を余儀なくされている。

このことは立場を変えてみるならば、政府において徴収義務者の私有する企業(企業そのものが財産でないとする立場をとるならば、企業の組成財産たる従業員に対する雇傭契約上の債権と什器備品並に金銭)を無償で使用している結果となつているのである。

しかしながら現行所得税法により源泉徴収義務者に対し課せられている前述の負担は国民全体に課せられているものではなく、当該義務者に対する特別の負担である。しかもそれは国家の便宜のために特定のものにのみ課せられているもので、しかも前述のように憲法上納税義務のそれのように義務づけられているものではない。従つて国家はこれを無償使用するについて何等の根拠のないものである。

又、国民の国家に対する協力義務なるものは、国民として社会通念上忍容しなければならない限度においてのみ認められるものであつて、国民の特別の負担は、国家において、補償すべき筋合のものに属し、国民が無条件でこれを忍容する筋合はないのであつて、本件源泉徴収義務についてこれを考えて見るに、その義務者のうち小企業の経営者が自らその事務を少い出費と負担とで担当できるような場合においては格別、本件被告人の経営する会社のように前掲の特別多額の出費と、負担とを要する企業においてはこれはもはや忍容義務の程度を超えた特別負担というべきである。

六、現行所得税法は以上詳述したように政府がその行政事務に協力させるために、源泉徴収義務者に負担損失をかけることになつているのに、これに対し何等の補償も考慮していない。旧法当時の前掲報償金制度は昭和二十二年十二月一日施行せられた改正法によつて廃止された。しかしてこの源泉徴収義務者の蒙る損失は政府が源泉徴収義務者の私有財産を使用する結果生ずるものであつて、このことから見て、所得税法は憲法第二十九条一項の私有財産不可侵の宣言に違反した法律であるといわなければならないし、同時に又憲法第二十九条第三項の私有財産使用正当補償制度に違反するものといわなければならないのである。

七、しかるに原審は弁護人の以上の論旨に対し、次の趣旨を述べて簡単に排斥した。

(1) 昭和二十二年の税法改正以来、従来の所得税法が賦課徴収主義を採用してきたのを申告納税主義を原則とするに至り原理的に一大転換が行われ、源泉徴収の制度も従来の法制をそのまま継受したのではなくて、この申告所得税を予納させておくという考へ方に変つた。

従つて源泉徴収義務者の義務は原始法時代の賦課徴収主義に立脚した政府行政事務への協力とはその精神を異にするに至つたものであるから旧法時代の損失補償制度をもつて現行法解釈の論拠とすることはできない。

(2) 源泉徴収制度は政府の徴税事務の便宜だけを考慮したものではなく、もし源泉徴収しないなら納税義務者は納税のために納税時期に一時に多額出費を必要とし、このためにうけるであろうところの苦痛を緩和する機能を営んでいるわけであるから納税義務者として便宜な措置であると認められ国はこの合理的なものを制度化したのである。

(3) 源泉徴収義務者とこの納税義務者とは密接な関係をもつているから源泉徴収義務者としてはその納税義務者の納税のために経済的な負担をうけてもこれに堪えるべきである。

源泉徴収義務者は納税義務履行に協力しているのであり徴税事務が簡易になつているのはその反射的効果である。

(4) 源泉徴収義務者の事務は所得の支払のとき控除して国家に納付するだけで納税義務者から積極的に金員を取立てるのと比較し技術的に困難な点は少しもない。

従つて所論の源泉徴収義務者の金銭上の損失は当然受忍すべき程度のもので所得税法が何等の補償もなしに源泉徴収義務を科することにより財産上の損失を蒙らしめていても憲法第二十九条違反であるとすることはできない。

八、しかし原判決の判断は誤解と独断に基づく論理であつて承服することはできない。以下その理由を述べる。

(1) 昭和二十二年の改正で税法の精神はたしかに変つた。しかし源泉徴収義務は憲法上国民に課せられた義務ではなく、政府の行政事務への協力である点は旧法当時と同様である。

旧法当時の補償制度をそのまま移行すべきであるということはできないとしても改正法が何等かの合理的措置をとらなかつたことは明らかに不備である。

(2) 原審は源泉徴収制度に採用された便宜主義は国家を対象としたものではなく納税義務者を対象としているものであるといつているが、このような解釈をとつている者は原審だけで他にはない。

税法の採用する原則はそれが公法である限り主権者を対象にしていることは当然であつて、納税義務者を主体としてその便宜のために採用するというようなことはあり得ない。原審のいうことは全く反対であつて、若し主権者の便宜のために採用された制度がたまたま被治者にも便宜であつたような場合は後者においてその反射作用をうけていると解すべきである。原審は源泉徴収制度は源泉所得の納税義務者にも便宜であるというがそれは当らない。源泉所得の納税義務者としては他の所得税申告納税者と同様な方法で納税する方が余程利益である。即ち現行所得税法の下では源泉所得納税義務者は所得の支払をうける都度税額を天引される結果となつているがこれが若し申告納税で済むならば毎月の所得は丸丸手取りとなり、それだけ資金が豊富になるからである。原審は現行法をして納税者の苦痛緩和作用があると礼讃している。しかし現行法の立場は、税金を一時に取立てるよりもなしくずしに取立てる方が取立て易いという理由からであつて、納税者の側から見ては何ら経済上の利益をうけることにはなつてはいない。源泉納税義務者が税金の先払をすることになつてもこれに対し割引その他の利益を与へていない。極端に云つて納税者の心裡をだましているというに過ぎない。

(3) 原審は源泉徴収義務者と納税義務者との間には密接な関係があるというが現在の社会組織の下では、使用者と労働者との間には往年の封建組織の下におけるような関係はなく、純粋に経済的な関係をもつだけで労働商品の売買以上に出ていないし、その他の支払者と所得者との間柄は一層その影が浅薄である。原審は両者の間の密接な関係をクローズアップして源泉徴収制度において支払者の蒙る余分な負担を已むをえないものとし、その支払者の余分な負担は所得受領者の余分な所得となつているような錯覚に陥つている。しかしこの支払者の余分な負担によつて利益を受けているのは政府であつて、所得税の納税者ではない。従つて仮りに源泉徴収義務者と納税義務者との間に密接な関係があつて前者が後者の便宜のために何程かの負担を強いられなければならないとしても前者は国民として以外何の関係もない政府のためには負担を強いられる何ものもない。又政府の徴税事務が簡易になつているのはこの源泉徴収義務者の蒙る負担の結果なのであり、他の反射的効果によるものでは決してない。

(4) 次に原審は源泉徴収義務者の事務は簡易平明であつて、技術的に困難な点は少しもないとし、積極的に金員を取立て納税事務の代行をする場合とは比較にならないといつているが、源泉徴収義務者には、もともと何等の義務もないのであつて、所得税法により初めて義務づけられたに過ぎないから、その義務の軽重については何物とも比較すべきではなく、たとへ簡易平明な事務であつてもそれをおしつけるには法律上何等かの根拠がなければならないであろうが源泉徴収義務者の所得税法上の義務はその生存上忍容しなければならない程のものとは考へられない。すなわち、これは例の鉄道の沿線居住者が媒煙の被害を忍受するような消極的な義務とは異なり、積極的に経済上の支出を伴う義務であるからである。

又この経済上の負担損失は、源泉徴収義務者の生存上忍容しなければならない程のものというには余りに過大であり、又事の性質上当然そうなのではないのである。原審の判断はすべて独断であつて到底承服することはできない。

第二、次に所得税法中源泉徴収に関する規定は憲法第十四条に違反する無効の規定である。

一、憲法第十四条は「すべて国民は法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」と宣言している。しかるに現行所得税法中源泉徴収に関する規定は国民に差別待遇を与へているものであつて無効である。

二、源泉徴収規定の主要な点は俸給その他これに類する所得者からその支払者をして俸給等の支払の都度これに対する所得税額を控除して一定期間内に国に納付させることにある。本件記録に綴ぢてある第一審の弁論要旨追加補充書添附の参考資料(「われわれサラリーマンはなぜ税の軽減を叫ぶか」と題するパンフレット)によると、昭和二十九年度の所得税納付者数は約一千万人であつて、そのうち源泉で差引かれる給与所得者は約八百万人で実にその八割を占めており、これに引きかえ申告所得納付者はわずか二百万人に過ぎない。一方課税の基礎となる国民所得の面から見ると昭和二十八年の国民所得配分実績は、勤労所得が二兆八千三百六十六億円、個人事業所得が二兆四千七十三億円となつている。ところが税金の方では勤労所得者からは二千百八十億円を源泉徴収の方法で納税されているに対し個人事業所得者からは総額七百四十億円が申告納付されているにすぎない。

三、両者の間の不平等は他にもある。勤労所得者は所得の支払をうける都度所得税を徴収されるのに反し、事業所得者は年三回(しかしそのうち大部分の納税者は年一回)に申告所得に対する所定の所得税を納付することになつている。

しかも勤労所得者は、事業所得者よりも一年以上も早く税金を納付させられる場合がある(勤労所得者の場合は毎月税額を天引徴収されるが事業所得者は確定申告のとき納付すればよいので)のにこの早期納税について当然考慮さるべき利息相当額の割引は勿論何等の報償も与へられないことになつているのである。このような現行所得税法では同じ憲法上の納税義務者でありながら、著しく不平等な取扱をしているのである。

四、又現行所得税法によると源泉所得者は支払をうける都度一方的機械的に税額を控除されることになつており、しかも刑罰の威嚇によつて拒否権を封じられている。これに比較し一般の申告納税者になると或る程度の自由が保持されている。ここでわれわれは昭和二十八年頃新聞を賑わした事件を思い出す。それは勤労者団体たる総評が当時の国会乱闘と多数決による暴力立法に憤慨し税金を供託しようとした事件を思い出す。それは勤労者団体たる総評が当時の国会乱闘と多数決による暴力立法に憤慨し税金を供託しようとした事件である、納税の義務は一方納税者に何等かの権利が与へられるものでなくてはならない。政府が国民からの血税を濫費して国民の利益とならない行政を行うような場合は国民としてその財源の捻出を拒否する方策をとらざるを得ない場合も考へられる。このような場合は、他に採るべき方法はあるであろうが、その前に税金が政府に強制徴収され費消されてしまつてはあとの祭りとなる。この事件は当時の政治、経済及び社会情勢から見て妥当であつたかどうかは別として将に右の意図の下に企てられたもののようである。しかし総評のこの事件は失敗に帰した。

一般申告納税者の場合であれば、供託も可能であつたであろうが総評傘下の労働者の場合は供託が不可能であつた。それは使用者側が所得税を源泉徴収して政府に納付してしまうからであつた。

この事件の場合、全く源泉徴収制度は政府にとつては幸いであつたが総評にとつては不便なものであつた。この事件を例にとつて源泉徴収制度を非難することは適切ではなかつたかも知れない。しかし源泉徴収の規定はこういう意味でも国民に不平等な取扱をしていることが明瞭であろう。

五、右三点のうち最後の場合はともかくとして前の二点について見ただけで現行所得税法が国民に対し勤労所得者と、事業所得者との間にその職業(社会的身分)によつて行政上不平等な差別待遇を行なつていることがわかつたと思う。このことは、その他の点について考慮を払うまでもなく前述不平等禁止の憲法の規定に違反することは明らかで、このような勤労所得者と事業所得者との間における不平等は、実に現行所得税法の欠陥であつて、所得税法中から源泉徴収に関する規定を全部削除することに一切解決されるのである。

六、以上は納税義務者の面から所得税法の不平等取扱を指摘したのであるが、次に今一点重大な問題を指摘することとする。

即ち現行所得税法を見ると源泉徴収義務者は非常に苛酷な義務を負担させられていることがわかるがこの義務は国民全体に対し平等に負担を命ぜられているものではなく、独り源泉所得の支払者にのみ課せられているものである。

原審は「源泉徴収義務に違反したものは平等に処罰又は所論の不利益を受けるものであつて、その間何等不平等の取扱をするものではない」といつているが、この立論は同一源泉徴収義務者間の問題についてのみいいうるのであつて、ここで弁護人の主張する問題は一般国民と、源泉徴収義務者とを比較した不平等論をいうのである。

七、源泉所得の支払者は、一体何故にかかる特別の負担を義務づけられたのであろうか、そのことについて考えられる根拠は国民として国の施策に協力する義務及び生存上の忍容義務以外にはない。国民にこのような義務があることは否定できないとしてもそれは国民全体に対していいうることであつて特定の者にのみ、しかもその意に反して課せられるべき性質のものではない。

しかるに現行所得税法は源泉徴収義務者に対し、特別負担をしかも無償で一方的に命じて一般国民と不平等な取扱をしている。所得税法はこの点から見ても憲法第十四条に違反し、この違反は所得税法中の源徴徴収に関する規定に基因する。従つてこれらの規定は全部無効であるといわなければならないのである。

第三、さらに所得税法中源泉徴収に関する規定は憲法第十八条に違反する無効の規定である。

一、憲法第十八条は「何人もいかなる奴隷的拘束も受けない又犯罪による処罰の場合を除いてはその意に反する苦役に服させられない」と規定している、しかるに源泉徴収に関する規定は前に述べたとおり国民の生存上当然忍受すべき義務ではなく又憲法上の国民の義務に淵源しているものでもなく、法律の規定によつて政府の徴税上の便宜のために源泉徴収義務者にのみ義務づけているものである若し国民がこれに協力しないとき、即ち所定の規定に違反したときは、

民事罰として日歩四銭の利子税(所得税法第五十六条)税額に対する最低一〇%から最高二五%の源泉徴収加算税(同第五七条四項)税額に対する五〇%の重加算税(同第五七条の二四項)を徴収されることになつており、しかも源泉徴収義務者は国税徴収法の例によつて強制徴収される(同第四十三条)ことになつており、加うるに

刑事罰として罰金徴役等(同六十九条の三、同七十条等)の処罰をうけることになつている。

このような所得税法の規定は国民に対し何等義務なきことをその罰則の威嚇の下に強制して行わせようとするものであつて、国民の自由を奪うものである。

二、原審は、源泉徴収の規定によつて国民が負担している行為(その内容は第一点第一の冒頭で述べた)について、それは憲法に規定された苦役ではなくたとえそれが労働を強制するものであつても国民は公共の福祉のために忍受しなければならないといつている。

しかしもともと憲法第十八条は国民の自由を奪うようなことはすべて禁止する目的の下に宣言された規定であり、源泉徴収義務者に課せられた強制労働が一概に憲法の規定した苦役にはあたらないと言い切ることは独断である。

国民のその意に反する労働は、言葉の広い意味における苦役といいうるのであり、民主憲法の精神から解釈するとき、第十八条の苦役とは強制労働をも当然に含むものといわなければならない。

三、仮りに原審のいうように源泉徴収義務者の斯る負担が苦役ではないとしても、憲法第十八条は国民はいかなる奴隷的拘束も受けることがないと保証した。奴隷という言葉の本来の意味は商品として取扱われる人間のことをいうのであるが、憲法の文言は奴隷的拘束となつている。

しかして奴隷に対しては、その意に反する労働を伴うのが普通であるから国民の強制労働を伴う現行所得税法上の源泉徴収義務者の立場は将に憲法にいう奴隷的拘束をうけているものと解すべきである。

四、したがつて現行所得税法中の源泉徴収に関する規定はその強制労働に対して補償があると否とにかかわらずこの点からして明らかに憲法第十八条に違反する無効のものといわなければならない。

(第一点の結論)

第一審判決は以上説述したところにより当然違憲無効であるべき所得税法中源泉徴収に関する第六十九条の三第三十八条の規定を適用して被告人に有罪の言渡をしたものであり、又原審は前述のような誤解と独断の論理で第一審判決を支持し不当に控訴を棄却したものであつて破毀を免れないものと信ずる。

第二点、原判決には重大な法令解釈の誤りがあり、これを破毀しなければ著しく正義に反する。

第一、原判決は第一審判決の法令適用の誤りを認めておきながら所得税法第七十条の解釈を誤り第一審判決を支持して控訴を棄却したものであり不当である。

一、弁護人は原審控訴趣意書において所得税法の罰則規定のあり方を詳述し、第一審判決が本件に対し所得税法第六十九条の三を適用したのは誤りで、本件は同法第七十条第三号に該当する行為として同条を適用すべきものであると主張した。

これに対し原審は本件には第七十条が適用されるものであることは認めたが同条但書に「第三号の規定に該当する者が、当該所得税について第六十九条の三の規定に該当するに至つたときは、同条の例による」とある規定を不当に解釈し「前記誤は判決に影響を及ぼすこと明らかであるとはいえず論旨は理由がない」と判断した。

二、しかし、所得税法第六十九条の三は、源泉徴収義務者が源泉所得たる給与等を支払う際、天引徴収した税金を政府に納付しなかつたときの罰則規定である。かかる行為は寄託物を不法に領得することにより成立する横領罪と同じ性質をもつが故に税法罰則中の最高厳罰をうけることになつているのである。

これに反し、第七十条第三号は、源泉徴収義務者が義務を怠り所得税を徴収しなかつた場合に成立する秩序犯の規定である。本件は原審も認めているように被告人が源泉徴収義務を怠つたために告発起訴されたもので、第七十条第三号に該当するものであることは明らかである。

しかるに第一審は弁護人等の右反対解釈を無視しこれに第六十九条の三を適用して本件を処断したものであるところ、これは第六十九条の三の解釈についてこの規定の内容には、源泉徴収義務者が所得税を徴収しておきながらこれを納付しなかつた場合も、またこれを徴収せず、したがつて納付もしなかつた場合も共に包含して適用されるものであり、本件は右後者の場合に該当し、この場合第七十条第三号は第六十九条の三に吸収されるものとの解釈をとつたためであろう。

原審は右第一審の解釈に対しこれを修正して、本件の場合は第七十条但書によつて第六十九条の三の刑をもつて処断すべきものではあるが適用法条は第七十条であり第六十九条の三ではないとの見解をとつた。

三、思うに第六十九条の三及び第七十条に対する第一審及び原審の解釈は共に誤つている。即ち弁護人は第七十条本文但書の解釈としては、同条第三号の秩序違反行為をなした者が第六十九条の三の該当者と同じように横領的行為を加味するに至つたとき例えば、所得者からの税金の徴収ではないが現実にはこれが徴収を仮装して支払額から一部を差引いていたとか或は、その後税金相当額を徴収しながらこれを納付しなかつたとか、その他現実に徴収したと同一の結果行為があつたとき、附加罰的に又は注意的に六十九条の三が適用されるものとしたのであると解する。

このように解釈しないで若し第一審のような解釈をとるならば、右但書は全く無意味且つ不用であるし、また原審のような解釈をとるならばこの但書の規定は立法技術上余りに無体裁で且つ難解すぎる。

弁護人等が七十条但書の規定を前述のように解釈する根拠は第一審弁論要旨及び原審控訴趣意書でも主張しているように、第七十条第三号違反という軽い秩序犯が、法律で定められた時間(行為の日から翌月の十日迄の間)の経過のみによつて、何等その間に格別の加功手段も弄しないのに、直ちに第六十九条の三違反という重い自然犯的犯罪行為に転換移行するという結果になり、社会通念上到底認め得ない不合理があるからである。なお右納税について単に期間を徒過したことによる制裁は刑事罰をもつてするのは適当でなく、これに代るに民事罰をもつてすることが妥当であり、且つそれで充分である。果せるかな法はその場合利子税(第五六条)源泉徴収加算税(第五七条第四項)及び加算税(第五七条の二第四項)の規定をおき、期限内納付と、期限後納付税の間の不公平を是正しているのであつて、この点から見ても右論者の見解を支持することはできないのである。

かかるが故に第三号の法文は、「徴収すべき所得税を徴収しないで、従つて納付もしなかつた者」と解し単純不納付の場合に対する罰則規定であると解すべきである。かく解することによつて始めて第六十九条の四の単純不納付犯の場合に第七十条第三号の場合と同類の軽い罰則が設けられてある理由も理解されるのである。

本件の場合は本税額に対し利子税は勿論、源泉徴収加算税としてその最高率二十五%と重加算税として五〇%合計七十五%が右本税に加算追徴されている現状であつてこれらの総合計は実に本税と同額に匹敵する数額に達しており、単なる行政秩序違反の性質を有する本件犯罪に対しなお且つ自然犯的要素をもつ六十九条の三を適用するが如きは全く条理に反し妥当な法の解釈となし得ないというほかはない。従つて本件の場合のように、徴収もせず納付もしなかつた場合には、横領の事実を欠く他の不納付犯に該当するものとし第六十九条の四の単純不納付犯と同様に比較的軽い刑罰に処せられるべき性質のものであつて、茲に第七十条第三号に該当する事案なりと論結せざるを得ないのである。

四、以上は、税法の精神を基礎として本件は第七十条第三号に該当することを述べたが更に最近の判例と対照するときは以上の主張が誤りでないことを裏書している。即ち最近最高裁判所は入場税を徴収しておきながら、これを納付しなかつた事件についてこれは単純な滞納ではなく業務上横領に類似するから詐欺脱税と同様の刑を科したからといつて不当な科刑ではないと判決している。(最高裁判所刑事判例集第八巻十一号一七四九頁以下参照)即ちこの判例によると、最高裁判所も入場税を始めから徴収しないで納付もしなかつた場合(即ち横領行為のない場合)と徴収しておきながら納付しなかつた場合(即ち横領行為があつた場合)とを区別し、後者の場合は横領があつたから詐欺脱税と同様に処罰したのは不当ではないとの見解をとつていることが窺われるのであつてこの判決によつてみても、源泉徴収義務のような他人から徴収して納付すべき義務のある者に対する科刑の理由は横領の事実の存在することが最も重大要素としていることがわかる。従つて本件の場合のような横領の事実のない場合に詐欺脱税の場合と同様に重い科刑の第六十九条の三を適用することの誤りであることはこれによつて見ても明らかである。

五、よつて本件は第七十条第三号を適用すべきであるところ、原審は右のように七十条但書を不当に解し「本件は結局第六十九条の三の刑によつて律せられるものであつて、この結果は判決に影響を及ぼすものではない」として控訴を棄却したのである。

仮りに百歩を譲り、第七十条但書についての原審の解釈を認めるとしても刑の適用は主観客観の事情を併せて考察し、犯人の性行、情操、経歴、環境の良否、犯罪の常習の有無、犯罪の動機、道義上公益上特に非離されるものかどうか又は宥恕しなければならないものかどうか、犯罪の動機が挑発監督関係に基く威迫、群集暗示その他これに類する事由に基くものかどうか、犯罪の手段が惨酷巧妙又は大規模であるかどうか、被害の大小軽重、悔悟、被害弁償その他実害軽減に努力したかどうか等の点に特に留意してなすべきものとされている。したがつて具体的事件に対する適用条文の差異は、たとえその法定刑が同一であつても適用規定の立場いかんによつて必然的に判決に影響を及ぼす結果を招来するものである。

しかるに原審はこの点を看過して漫然本件適用条文の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかでないとして控訴を棄却したのであつてこのことは、彼此二重の過誤を犯したこととなり原判決は明らかに不当であるといわなければならない。

第二、第一審判決には理由不備の違法があり原審はこれを看過した違法がある。

一、弁護人は原審控訴趣意書第三点で第一審判決の理由不備を指摘して第一審判決の破毀を求めた。即ち

(一) 所得税法第六十九条の三における、源泉徴収義務者の脱税犯は徴収義務者が、納税者に対し、利子、建設利息、株式配当、給与及び退職手当などを支払う際に、徴収して納付すべき所得税額を納付しなかつたとき(本弁護人は源泉徴収義務者が、所得税額を徴収せず従つて納付しないこととなつた場合は第七十条第三号に該当すると主張するものであるが、ここでは第一審判決のように仮りにこの場合も第六十九条の三に該当するものとして議論を進める。)に成立するものであつてその犯罪構成要件は法文上至つて単純に見え、このものは他の脱税犯におけるように詐欺又は不正の事実の存在することを要件としてはいない。しかし同条所定の刑は最も厳重であつてその理由は容易に理解し難いところである。そこでその要件中に詐欺脱税犯のように何等かの不正行為を伴うことを必要とするのではないかと考えられ、この脱税犯についても、刑法総則の適用によつて故意を必要とする(第二点参照の最高裁判所判例もこの点を認めている。)ことには争のないところからその故意の内容として右不正行為の素因をなす何等かの意図の存在することを必要とするという説が生じている。即ちこの説によると、「故意の内容が、単に犯罪事実の認識予見であるとすれば徴収義務者の注意義務の程度から考えて、やや広きに過ぎると考えられる。昭和二十五年度の改正によつて、重加算税等の課税がとり入れられたところから、徴収義務違反の悪性を論ずるものとしては、刑罰制裁をもつて臨むべき場合は法定期限を経過しても、その納付すべき税額を納付しなかつたという事実の認識予見のみに止まらず少くともその不納付の事実を利用する程度の意図のあつたことがうかがわれる程度たることを必要としよう。罰条適用の精神解釈としては、ことさらに納付しなかつたといつたような感じ、意識的に税法の適用を免れようとしたといつたような感じ、そういつたものが欲しいところである。(週刊財政経済弘報号外昭和二十五年四月十五日発行、別冊特別第十号忠佐市著課税に対する不服申立と罰則四十九頁)(第一審で参考資料として弁護人から提出済)

というのであつて、弁護人の仄聞するところによれば忠氏は現在なおこの説を堅持しているとのことである。

右忠氏のいう、「不納付の事実を利用する程度の意図」とは何をいうのか、この点について弁護人は第二点第一において述べたとおり、これを「不法領得の意図」と解し、このことから第六十九条の三によつて問擬されるためには横領行為のあることが必要あると主張するものでありこの解釈は、前掲最高裁判所の入場税に対する脱税犯についての判決中にも採り入れられるところとなつているのである。

(二) 本弁護人の右主張は、これを換言するならば、所得税法第六十九条の三の犯罪構成要件は単なる不納付の事実のみをもつて足るとすべきではなく、刑法の横領罪のように不法領得の意図をも必要とするものと解すべきであるということであつて、本件に対し所得税法第六十九条の三を適用しようとするならばその事実中に不法領得の意思が存在することを必要とするものであるところが第一審判決罪となるべき事実中には唯「……被告会社において、その従業員綱兼次郎等に支払つた給与から所定の所得税を徴収せず該税額合計四百六十四万三千三百四十二円を所定期日迄に政府に納付しなかつたものである。」とあるだけで、不法領得の意思の有無事実についての何等の記載もない。

しかして、横領罪についての判決に不法領得の意思の有無についての事実を判示することを要することは判例により既に確立せられているところであつて、本件においても之が判示を必要とするものと考える。

しかるに第一審判決はその事実中に前記のように不法領得の意思の有無について何等の判示もしていないのであるから刑事訴訟法第三百七十八条第四号に所謂「判決に理由を附せず」に該当し、到底破毀を免れないものといわなければならない。

というのがその主張趣旨であつた。

二、しかるに原判決はこれに対する判断として「同条の故意とはその構成要件たる事実を認識しておれば十分であつて、それ以外に領得の意思を必要とするわけがない。所論引用の判例は入場税を徴収しながら納付しなかつた場合のものであつて本件に適切でないし、所論は独自の見解として採用できない」と判示しその排斥理由については一言も触れていない。弁護人は本件をもつて同条の解釈に対するテストケースとして充分研究して真面目に論じているつもりである。

そこで最高裁判所におかれては、原審のこのような態度をとられることなく充分納得のいく御明鑑をいただきたいと念願する次第であるが、原審は入場税の場合における最高裁の判例は適切でないというので此の点につき弁護人の意見をさらに附加することとする。

三、原審のいうように右判例は入場税を徴収しながら納付しなかつた場合のものであるが、さればこそ本件の場合は一層これを検討しなければならないのである。本件は単に徴収義務を怠つただけで、徴収した税金を費消したり積極的に脱税を策したような事案ではない。それにも拘らず第一審は本件に所得税法第六十九条の三の適用ありとして、入場税の脱税の場合と同様な重い罰則を適用しているのである。しかし、旧地方税法の入場税の場合、徴収義務者は、劇場等に入場した納税義務者から観覧料とは別個に税金分として所定の金額を積極的に徴収して、これを納付することにしているのであつて、徴収義務者が此の徴収税額を自己の手中に留置いて帰属者に納付しないときは徴収義務者は、資金面においてそれだけ積極的にプラスとなるのである。これに反し、源泉徴収義務者の場合、この者が所得税を徴収しておきながら納付しないのであれば格別、そのようなことのない本件の場合は何等の利益をも得ることにはならないのである。しかし、本件のような場合は入場税の場合のように徴収義務者には何等利益は伴わないが一方政府はこれにより徴税の機会を失うことにはなる。実はこれが源泉徴収制度における重大問題なのである。

しかしながら政府は第一点第一で述べたように源泉徴収義務者に無償で重大な義務を課し、ぬれ手で粟の妙味を味わんとしているのであるから、政府としてこのような不利は当然甘受しなければならないのではなかろうか。果してそうであるならば、本件の場合は、右入場税の場合は勿論、徴収済の税額を納付しない源泉徴収義務者の場合よりもその責任を緩和しなければならないのは当然である。一方政府は本件のように不徴収不納付の場合でも、その義務不履行に対し利子税、加算税、重加算税等の制裁を行い得るのであるから、その責任の追究はこれで充分であつて、その上になお且つ自然犯的処刑をもつてのぞむが如きことは二重三重の処罰を加える結果となり不合理も甚しいといわなければならない。ここにおいて前述忠氏が六十九条の三の適用上特別な構成要件の追加を提唱し、われわれがこれに加担する所以があるのであり、その根拠が明らかとなつたであろうと信ずる。

なお本件の情状及び法律上の主張その他については第一審で提出した弁論要旨その他の資料を御参照賜り度い。

第三、原判決は第一審判決が証拠能力なき資料により犯罪事実を認定した違法を看過した不法がある。

一、第一審判決は証拠として武井広吉、三浦倹示の大蔵事務官に対する質問顛末書中の各供述記載、麻生すみ子、綱五郎、鈴木茂及び藤田秀子の大蔵事務官に対する質問顛末書の各供述記載を採用しているが之等は次の理由で証拠能力がないから証拠とすることは出来ないものである。

(一) 充来前記各顛末書は国税犯則取締法第一条、所得税法第六十三条に基き作成されたものである。国税犯則取締法第一条により認められている収税官吏の所謂調査権は、行政機関によつて行われる行政手続乃至は通常の犯罪捜査手続より見れば告発を前提とする一種の準備手続としての機能に他ならない。しかし、之に基き作成された質問顛末書が司法警察員に対する供述調書と同等の資格において証拠として提出され且つ之に基き事実認定が行われている。これは要するに収税官吏に完全な形において犯罪捜査権を認めているものと謂うべく、前述の如く行政手続乃至は犯罪捜査の準備手続の範囲を逸脱したものである。而も本来の範囲を越えて犯罪捜査権を与えることは、そのこと自体憲法に保証する国民の基本的人権を侵害する蓋然性が大きい。例えば同法は犯罪捜査の技術性にのみ重点をおき、国民の基本的人権の保障については全然目を覆つているが如くである。即ち被疑者或は参考人の司法警察員又は検察官に対する供述については刑事訴訟法第一九七条第一項、第一九八条第二項によりその任意性が保障されているのに拘わらず国税犯則取締法には斯かる規定を欠いている。斯様な危険性を具備する同法第一条は憲法第十三条、第三十一条及び三十八条に違反するものであつて無効な規定と謂わなければならない。

(二) 又所得税法第六十三条には収税官吏の質問権の規定があるが、此の規定に基く収税官吏の質問に対する不答弁及び虚偽答弁については同法第七十条第十一号、第十二号により一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金という刑が科せられる。之は明らかに答弁の強制である。国税犯則取締法による質問と所得税法による質問とは之を区別して考えることは実際問題としては実に困難である。従つて結局質問される者にとつては絶えず右刑罰の重圧下に答弁を余儀なくさせられる訳である。所得税法第六十三条は前述せるところと同様憲法違反の規定であり、いづれにしても証拠能力が無いものである。

(三) 仮りに然らずとするも、前記各質問顛末書作成の際供述拒否権の事前告知が行われていない。元来供述拒否権の事前告知は刑事訴訟法第一九八条第二項に規定のある取調手続の最も重要な方式である。従つて此の方式を欠いた調書は恰も宣誓さるべき証人を宣誓させないで尋問したとき、その証言は証拠能力を有しない(大判大一三・七・一二集三巻七一、同昭三・六・一八集七巻四二七、同昭九・九・三集一三巻一一〇九)のと同様供述の任意性の有無にかかわらず証拠能力が無いものと解さなければならない。(団藤条解刑事訴訟法上三六七頁参照)

二、しかるに第一審判決はかかる証拠能力のない書面を証拠として採用し理由中にその旨表示している。判例上、証拠能力のない書面を証拠として採用した場合は、その標目が判決に表示されていると否とにかかわらず判決に影響を及ぼす違法があるものとされていることは異論なきところである。

原審はこのような第一審の違法を看過して控訴を棄却したがこれは明らかに不当であつて原判決は破毀を免れない。

第四、第一審判決は被告人伊藤をもつて所得税法第六十九条の三の違反者として有罪を認定しているが之は事実を誤認した判決である。

一、所得税法第六十三条の三の規定を仮りに原審のように解釈するとしても本条が所謂故意犯であることは疑がない。してみると、被告人伊藤を有罪とするためには同被告人において中央観光株式会社(現在月ケ瀬と改称)がその従業員に給料を支給するに際し、①給与者に源泉徴税義務の存する事実、②手当支給の際所得税を控除しなかつた事実、③所定の日までに所得税を納付しなかつた事実等の認識が必要である。然し本件の記録によるも、此の点を立証するだけの資料に欠けている。しかのみならず、反対に同被告人には右の如き事実の認識がなかつた事実が充分に窺える。以下此の点につき考察する。

(一) 同被告人において本件起訴状記載の各給与に対し源泉徴収義務が存することの認識ありや。

被告人伊藤は原審公判手続冒頭において起訴状記載の事実につき意見を求められた際本件問題の給与は、中央観光株式会社から支払われるものではなく同被告人個人の資格において支払つたものである旨述べている。同被告人をしてその様に言わしめたのは次の如き事情がある。即ち、同被告人が代表取締役となつている中央観光株式会社は、同被告人の戦時中及び戦後における個人企業時代を経て会社組織へと移行し、今日見るが如き中央観光株式会社として一応法人組織の企業型態をとつているが、その内部機構は依然として同被告人個人の企業体の域を脱し得ないため同会社の経営につき一面において法人的性格面が顕れると同時に又他面においては同被告人の個人的企業観が随所に出て来るという、個人企業から完全な会社企業に移行する過程としての過渡的現象を呈していた訳である。同被告人の企業観からすれば社長としての同被告人と使用人との関係は、要するに特殊の一家族的な観念、主人と徒弟関係という観念に終始して来ているものということができる。而して同被告人の右の如き観念は給与規定に基く給与だけでは従業員の生活其の家族の生計維持が困難な実状にある当時において、各使用人に対し会社としての給与だけでなく社長個人の資格においていくばくかの生活費を出すことによつて生活の安定を計るようにしたいと考え現にこれを実行するに至つた訳である。従がつて同被告人としては本件で問題になつている給与は社長個人の資格で支給したものでありかかる給与に対し会社が所得税を源泉徴収する義務ありとする認識を欠いていたのである。

これらの事実は原審公判廷における武井、三浦、川口、橋本および山崎等の各証人の証言に徴して明らかである。

(二) 手当支給の際会社が所得税を控除しなかつた事実の認識ありや、および所定の日まで所得税を納付しなかつた事実の認識ありや、

被告人伊藤が中央観光株式会社の代表取締役社長として会社業務の統轄主宰者であることは認めざるを得ない。然し会社業務の統轄主宰者であるということは必然的に会社活動の一切の事実を知つているということではない。また会社活動より生ずる刑事責任の一切を負うことにもならない。要は誰が実際に経理面を担当し計画し、実行していたかである。経理担当重役は他に居り、

所得税法第七十二条に謂う「行為者」は斯かる者を指称しているものと考える。

ひるがえつて原審公判廷に顕れた各証拠資料を徴するに

(イ) 第七回公判における武井広吉の証言中

問 給与事務の担当者は決つているのか

答 給与事務の担当者は計算係りが私の下に何人か居てそれを三浦主任という計算係が一切まとめていました

問 給与額そのものの決定は主として社長がやるのか

答 そうです。私共は決定された給与額から色々計算する事務をするわけです

問 給与全体について伊藤佐太郎社長はどの程度関与しているのか

答 具体的には各人の給与額を決定するまで社長が知つている訳ですが、給与というと会社から支給されるものから控除される源泉徴収所得税、健康保険料、厚生年金、失業保険料とか前貸した返還とかがあるのでそういううものについての実際面に伊藤社長は経理面に素人でタツチされず、私共以下がタツチしていました

先に証拠として提出された昭和二十九年証第六五一号の二給与表を示し、

問 此の給与計算書が作成される順序と社長が目を通す部分はどこか

答 給与計算書に計算されて社長に目を通して貰う段階は先ず給与が算出されると社長の所へ持つて行つて目を通して貰い、そこで社長が検印をして係りの所に戻りその給与計欄の額に基いて税額保険料その他の控除額を算出し、差引支払額を算出して各人の手元に参るわけです

問 控除金という欄は社長に目を通して貰う時書いてあるか

答 社長には給与計算が出来るまで目を通して貰うのでその後経理課に戻り夫々の控除金を算出して支払うわけでその欄には社長の検印を求めたこともないし、又そうしていたのでは支払日の二十八日迄に間に合いませんでした

との証言

(ロ) 第七回公判三浦倹示の証言中

問 給与計算書に社長は目を通すことはあるか

答 給料日の前日迄に給与計算書が出来ると社長に見て頂きます

問 伊藤社長は全従業員の給与額に目を通すのか

答 そうです、給与額に目を通すので支払額ではありません

問 武井取締役はどういう仕事をしているか

答 給与全体の計算が終つたときに武井常務に見て頂くのです

との証言を綜合すれば被告人伊藤は、従業員の給与額の決定、毎月支払の給与額については取締役社長として干与しているけれども、各従業員に対する該給与額から税金、保険料手当等その他の控除をなし実際の支給額を従業員に交付したり税金の申告納付等の事務には一切干与していない。そしてこれ等はすべて武井常務と三浦倹示の両名の担当責任のもとに処理運営せられたものであることが明白になつているのであり、又被告人伊藤が故意に源泉徴収を回避せしめたり又社長としてこれを積極的に容認していたという事実のないことが明らかである。

よつて被告人伊藤は前示七十二条の違反行為者とはならないものと断定することができるのである。

二、しかして被告人に右故意のない以上、本件は当然無罪の裁判をえられるものであつて、第一審の判決及び原審の誤ちは判決に影響を及ぼすべき事実の誤認ある場合に相当し原判決を破毀しなければ著しく正義に反するものといわなければならない。

以  上

(添付書類)<省略>

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